川瀬浩介|生きる。

或るロマンティストの営み

【森山開次《新版・NINJA》ゲネプロ】

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2022年6月24日

ようやく辿り着いたゲネプロ──今日もまた、とてつもなく凄いものを目撃することになった。


──大切な人に、呼び覚まされた感動と興奮、そしてこの感謝と感激を今すぐ伝えたい──


自然とそう思えるほどの時間だった。

日付が変わって今日、6月25日(土)──いよいよ初日。

#森山開次 #NINJA #新版 #新国立劇場 #中劇場 #この作品が備えていた真の世界観が中劇場で遂に解き放たれる

【銀髪──20年前の思い残し】

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2021年4月29日

ぼくが20代半だった頃、美容業界では「カラーリング」が流行り出した。社会に属しているようないないような立ち位置でずっと暮らしてきたから、どんな髪型にしようと文句を言われることもない。そんな事情もあって、当時通っていた美容室で「頭を貸して欲しい」とお願いされたのがきっかけだったと記憶している。

赤、青、黄、紫、橙、緑、金──ほとんど全ての色を試したなかで、最後に残されていたのが「銀髪」だった。


「髪の毛のあるうちに」


そんな冗談がぼくの常套句だった。そして、その機が訪れたのは、確か30歳のとき。カラーリングをするのはこれが最後と決めて、銀髪にチャレンジした。

まずは限りなく髪の毛の色を白に近づけるべく、連続2回のブリーチを施された。それでもベージュ色までしか届かず、これ以上繰り返すと、髪の毛が切れてしまうため、銀染用の染め液を塗って理想の色に近づけていく。原理としては、わずかに青みが加えられた染め液が、自然な銀色に発色するということだったのだが、ぼくの髪質は、そもそも水さえも弾く性質が強く、染め液も十分には馴染まない。結果は無残なものだった。2度のブリーチで髪の毛はほとんど縮れ、低品質の化学繊維が使われた安いぬいぐるみの毛並みようなカサカサな状態になり、毛先に残ったわずかな藍色が、毛染めをしたものの手入れを怠ったまま放置された無頓着な人物の印象を強め、なにもいいところがなかった。


「うまくいかなければ、カットしてしまえばいい」


そう、だからこそ、まだ髪が伸びそうな時代にチャレンジしたかったのだ。

今回の現場で、ぼくは特段、出演者としてクローズアップされるわけではなかった。裏方として、音に集中する──それが使命だったはずなのだが、あるとき、ヘアメイク担当の方から声がかかった。

「どうしましょうか?」

「えっ? ぼくには必要ないでしょ〜誰も見てませんし」

「襟足にカラフルなエクステつけます?」

「それ、本人の意思とは関係なく後ろ髪伸ばした髪型にされてる子供みたいにみえませんか…。」

「じゃあ、アフロのウィッグあるんでどうです?」

「いやいや、ぼくは演者から離れた場所でひとりそっと音出ししているだけなんで、ハロウィンでイジられることを期待して仮装してきたのにスルーされちゃったおじさんみたいにみえそうで…。」


こんなやりとりを経て、すっかり相手のやる気をしぼませてしまったことに、少々心が痛んだ。

翌日、突然蘇ってきたのが、冒頭に書いた通りの「銀髪」に憧れたころの記憶だった。当時、美容室の椅子に座ってオーダーする際、こうリクエストした。


藤本義一司馬遼太郎のようにして下さい」


ぼくにとって、銀髪紳士は、語り口も立ち振る舞いも素敵で会話の話題も豊富な「こういう大人になりたい」と思わせる、いわば憧れの存在の象徴だった。

幸いにも、今も我が頭髪は健在である。実は、去年、自分でも調べてみたところ、手軽に銀髪が楽しめるジェルがあることを知っていた。きっとプロの方ならご存知なはず──そう思って提案してみると、やはり普段使われているという──これでキマリ!

メイクルームでは、朝から午後まで費やして、数十名の出演者に休みなくヘアメイクが施されていく。すべてが終わった時間、ひとやすみするつもりで銀髪作りを楽しんでもらえたら・・・そんな気持ちでメイクルームへ向かうと、若かりし頃、美容室でも同じようなことを語っていたことを思い出した。


「普段、お客さんからの無理なオーダーに応えている皆さんですから、せめてぼくの頭を触るときくらい、自由にやってください。失敗しても大丈夫です。まだ当分、髪の毛は生えてきそうなんで(笑)」


いつのころからこんな調子の気質が仕上がったのか? 小さい頃は無口で人見知りで、知らない人と出逢っても普通に会話ができる母を見上げながら、「うちの母親はいったいどうしたっていうんだ?」と、傍で慄いていたというのに…。

#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン9 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #ヘアメイク #銀髪 #slowcircusproject #globalringtheatre #TooKYoo

【長い想い出話しと吉報を待ち侘びる気持ち】

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2020年6月18日


今日は月一恒例の定期受診日。先月受けた血液検査の結果を聞いて来た。この半年、長らく調子を崩しているので、身体の中で異変でも起きているのではないか? と案じていたが、このコロナ禍において摂生してきた甲斐あって、大きな問題は見当たらずとのことでまずは安堵した。

帰り道、食料と日用品の買い出しのため、数件のお店を回ってから日暮れ前に帰宅。昨夜もあまり眠れなかったせいもあり、軽く食事を済ませたところで、ゆっくりと眠気が襲ってきた。

いま、なによりも贅沢なぼんやりとした時間にネットを探っていると、気になる投稿を見つけた。

 

Yasuaki Shimizu & Saxophonetts "Latin"
YASUAKI SHIMIZU | MUSIC


清水靖晃氏の作品のほとんどを聴いてきたつもりだったが、この作品は完全に聴き落としてしまっていた。

今回提供されたテキストと音源をみて聴いて、思わず驚愕──。こうした世界観を持ったアルバムは、特に90年代後期に世界中からたくさん現れていて、ぼくも例に漏れず聴くようになっていたが、これはなんと!


「1983年録音」


その年のぼくと言えば、中学1年生だ──誰彼等しく無自覚のまま自意識を育んでいくなんとも厄介な時季に突入していた。世間では、春に東京ディズニーランドが開園し、夏には任天堂ファミリーコンピューターが登場。年末にはYMOが散開した。「笑っていいとも」も83年スタートの番組だと思っていたが、調べるとスタートは半年早い82年秋。いずれにせよ、思春期真っ只中に新しいことが次々起こる様子を目の当たりにして、これもまた無自覚に興奮していたように思う。そしてあとから振り返れば、このころからバブル経済が始まりつつあった。

このアルバムが実際に世に放たれたのは、1991年だという。その事実を聞いて思わず嘆息した。


──時代の流れは実に巧妙にできている──


この年から、バルブ崩壊の序章が幕を開けたのだった。

流行りのLAメタルやギター愛が爆発してAllan Holdsworthを聴きあさっていたころ──通い始めたばかりの音楽学校は、バブル崩壊の煽りを早々と受けて4月の入学から一ト月も経たないゴールデンウィーク前には先行きが危ういという噂が流れ始めた。しかし有志の講師の方の計らいで、なんとか1年間だけは授業が継続されたものの(恐らく無給でやって下さったのではないだろうか)社会情勢は好転せず、学校は倒産、閉校となった。

中には、新聞奨学生として働きながら通っていた仲間もいたので、支払った入学金を取り戻そうという意見がでた。母に相談すると、「法務局で会社の登記簿を見れば資産状況がわかる」とアドバイスを受け、身体の不調で仮面浪人時代を過ごしていたせいで同期のなかで一番年上だったぼくが代表して法務局へ向かった。登記簿の内容をみて、社会の厳しさを初めて思い知らされることになった。ぼくらが入学直後に経営陣が代わっていたのだ。つまり、閉校時の経営陣は、沈みゆく泥舟の船頭として後始末を引き受けただけだったのである。

そういえばあのとき、Allan Holdsworthのアルバム《Metal Fatigue》(1985)をカセットテープにダビングしてSONYウォークマンで聴いていた。長い長い待ち時間、法務局ロビー内に置かれたいくつものベンチを退屈しのぎにあちこち移動しながら、このアルバムのなかでも最も長く複雑な構成とただならぬ雰囲気に満たされた15分近くもある曲〈The Un-merry Go Round(In Loving Memory of My Father)〉をやけに注意深く聴いていたことをよく憶えている(今日になってそのことを思い出し、副題の意味がやけに気になり出した)。

話は戻って、Yasuaki Shimizu & Saxophonetts《Latin》、である。SoundCloudのサンプル音源をずっと繰り返し聴いている。

あの二十歳の頃、学校のそばにはあのWAVEもあって足繁く通っていたけれど、この音楽には出逢えなかった。いや、たとえ巡り逢えていたとしても、ぼくには未だ耳が届かなかったに違いない。


──いま、手元に置いてじっくり味わいたい──


時は過ぎて、21世紀である。早速ネットで世界中を探すと、いくつか中古盤が見つかった。だが、近年、海外での再評価が高まり旧盤再発が続く氏だけに、これは「もしかする」のだろうか? いま現在ではとても貴重になった「吉報」を待ちわびることにしよう。

「吉報」と言えば、他にもいくつか待ち詫びているものがある。およそ30年前、社会情勢に飲み込まれて手にできなかった専門学校の卒業証書と同じように、それを手に入れたからといって何が約束される訳ではないのだけれど・・・。

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【記念すべき日の朝に──Peter Gabriel ‘Solsbury Hill’】


2020年5月25日

このところまた、ピーター・ゲイブリエルをよく聴いている。

今朝は、自分の音楽キャリアを総括する作品をまとめ上げた記念すべきとき──そんな日の朝に、彼の代表曲のひとつである〈Solsbury Hill〉を聴きたくなった。そしてわかったことがある。そのワケを、早朝5時過ぎの今、ひとり自宅で噛み締めている。

デビューアルバムに収められたこの曲は、名の知れたバンドから独立してソロキャリアを歩み始めたときの彼の心境が描かれた曲としても知られている。家族を持ち、初めて授かったお子さんとの暮らしのため移り住んだ田舎町から街の夜景を見下ろす・・・そんなくだりから物語は始まる。

何度も耳にしてきた曲だが、改めてこの歌詩に目を通すと、新しい道へ進むための決意や期待、そして同時に不安のようなものを感じる。先日出会ったこの曲の公式ライブ映像は、彼のキャリアを総括した編集になっていて、デビュー当時の若い時代から、数々の実験的かつ刺激的な作品群を経たのち、狙った通りにビッグヒットを飛ばし掴んだキャリア後年の余裕の表情までが網羅されている。

ぼくにとっての彼の魅力は、政治的メッセージを込めた作品を手がけるシリアスな一面と、一方でどこか憎めないチャーミングさを兼ね備えている点にある。さらに付け加えると、一筋縄ではいかない「クセ」や「アク」を音作りに散りばめているところもぼくを刺激し続ける(例えばこの曲は、こんなにポップで自然に歌えるのに7拍子で構成されている)。この上なく真面目極まりない強さと勇気、美しさを見せながらも、猿メイクでステージに現れたり、逆さ吊りになって歌ったり(しかも娘さんと親子揃って)、さらにはこの映像にもあるように自転車を漕ぎながらステージを駆け回るのだ。そしてときには、彼の真骨頂でもあるデュエットによるラブソングを書き上げてくる──懐が深いというのか? それとも「おおらか」と表現するべきか? そんなある種の「大きさ」に魅せられ続けている。


──それを「愛」と呼ぶのかもしれない──


それが今朝の気づきだ。今この曲を聴くと、これまでになく熱いものが自ずとこみ上げてくるのは、きっとそのせいに違いない。そうか、彼のその大きさは「天使=ゲイブリエル」と名付けられるに相応しい大器のことを指しているに他ならないのだ。

そんなこのうえなく大きなものを、ぼく自身もようやく感じ取れるようになったのだろうか?

さて、仕上がったばかりの我が大河作品集──名付けて・・・


──ROMANTICMAN ESSENTIALS──


ここからどんな物語が始まるのだろうか? いや、その物語は、既に綴られているに違いない。というのは、全40曲もの自身の作品を年代順に並べて聴き返すと、まるで最初から予定されていたかのような音楽的変遷を辿っていくことに気づいたからである。

きっとこの先に授けられる音楽もまた、「そのとき」を迎えられた瞬間にだけ、ぼくのもとにやってくるのだろう。それがどんな姿なのか? そしてその音楽が、どんな風景をぼくの心象に映し出してくれるのか? 

その瞬間を再び望むまで、いかなる困難をも超えていくのだ。


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Song for Someone - in progress

Breathe I can feel you

Dream I can find you

Pray I can touch you

Trust I always beside you


Believe you are the one to save this world now we face


Stay safe

Stay calm

Save yourself

Save our lives


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【未だ果たし得ぬ約束】

 

2020年5月16日

彼の音楽をどこへ行くにも聴いていたのは、もう30年前くらい前のことになるのか? それは、iPodiPhoneが登場する遥か前の、未だWALKMANが世界を席巻していた時代の大切な記憶である。


──Peter Gabriel──


今も昔も、表立った活動は数年に一度くらいな氏。近年の活動で最も印象的だったのは、過去の自身の楽曲をオーケストラで再現した《New Blood》(2011)だったが(ぼくが知る限りロックがオーケストラ・アレンジに挑戦したプロジェクトとして最も成功したアルバム)、いつも絶好のタイミングで聴きかえすことになる。今日もそんな瞬間が訪れた。この危機に見舞われるなか行われている氏のスタジオライブシリーズのひとつらしい。


〈More Than This〉


恐らく、氏のカタログのなかで最後にスタジオ録音されたオリジナルアルバムという位置づけになる《UP》(2002)に収録された一曲である。リリース当時はあまりピンとこなかったこの曲も、「いま」歌の内容に触れると、こころ揺さぶられるものを感じずにはいられない。


──歌詩──


その素晴らしさは、言葉そのものの意味を超えて、聴くもの心象に無限の景色を広げてくれることにある。その力をようやくぼく自身も使いこなせるようになってきた──そんな手応えを最近感じ始めている。


──これまでやってこなかった表現をやるとき──


この危機が知らせてくれた「ある解」が、ここにあるような気がした。それは、いまのぼくがかつての自分と交わした「未だ果たし得ぬ約束」なのだ。


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