川瀬浩介|生きる。

或るロマンティストの営み

【森山開次《新版・NINJA》再演、完遂──夢から覚めた朝に】


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2024年7月1日

泣かず飛ばずだった無名の時代から数えて、早くも30余年の時が過ぎた。ながらく創作に携わってきたが、遂にこの日、夢中だった時代を終えた。まさに〈夢から覚めた日〉の朝、である。

そんな朝、居間のテーブルのうえには、巡り巡ってぼくの手元に渡ってきた花束があった。改めて手に取って花を見つめると、驚きとともに、穏やかな気持ちが満ち溢れてきた。


──これは母からの返礼だ──


亡くなった母が緩やかに衰えを見せ始めたころから、いつ〈そのとき〉を迎えても悔いのないようにすることを毎日の判断基準にしてきた。その一環として、誕生日や記念日に花を贈ることにしたのだった。花道の師範代の免状まで取った母だったが、日常を花に囲まれて暮らすほど花が好きだったというわけではない。けれど、花を贈られるといつも満面の笑みを浮かべては少し照れた表情で受けとってくれていた。

時は巡って今年、ぼくが永い永い夢から覚めた朝、その花束を花瓶に移そうと手に取ると、アレンジを手がけたお店のロゴが目に入った。それは、何度も何度も母のためにアレンジを頼んだお店のものだった。

この花束はある出演者に贈られたものだが、たくさんの贈りものに囲まれた千秋楽の楽屋は、閉幕後、後片付けに追われる。すると、かさばる品であり、かつ捨てるわけにもいかないものは、手の空いたものへと回ってくる。こうしてぼくの元に届けられた花束──花が好きなぼくへ(特に贈る方が好きなぼくへ)やってきてくれて有り難う──そんな思いで持ち帰った花を、母に教わった作法に倣って、母が愛用していた花鋏で水揚げをきちんと施し、やはり母が愛した花瓶に生けた。

ドライフラワーにはしない。生命は限りあるものだから、朽ちるまでともに過ごすのみ──それが母に教わった流儀だ。

このお店のアレンジをみると、思い出す人がもうひとりいることは言うまでもない。その話はまた、別の機会に。

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