【銀髪──20年前の思い残し】
2021年4月29日
ぼくが20代半だった頃、美容業界では「カラーリング」が流行り出した。社会に属しているようないないような立ち位置でずっと暮らしてきたから、どんな髪型にしようと文句を言われることもない。そんな事情もあって、当時通っていた美容室で「頭を貸して欲しい」とお願いされたのがきっかけだったと記憶している。
赤、青、黄、紫、橙、緑、金──ほとんど全ての色を試したなかで、最後に残されていたのが「銀髪」だった。
「髪の毛のあるうちに」
そんな冗談がぼくの常套句だった。そして、その機が訪れたのは、確か30歳のとき。カラーリングをするのはこれが最後と決めて、銀髪にチャレンジした。
まずは限りなく髪の毛の色を白に近づけるべく、連続2回のブリーチを施された。それでもベージュ色までしか届かず、これ以上繰り返すと、髪の毛が切れてしまうため、銀染用の染め液を塗って理想の色に近づけていく。原理としては、わずかに青みが加えられた染め液が、自然な銀色に発色するということだったのだが、ぼくの髪質は、そもそも水さえも弾く性質が強く、染め液も十分には馴染まない。結果は無残なものだった。2度のブリーチで髪の毛はほとんど縮れ、低品質の化学繊維が使われた安いぬいぐるみの毛並みようなカサカサな状態になり、毛先に残ったわずかな藍色が、毛染めをしたものの手入れを怠ったまま放置された無頓着な人物の印象を強め、なにもいいところがなかった。
「うまくいかなければ、カットしてしまえばいい」
そう、だからこそ、まだ髪が伸びそうな時代にチャレンジしたかったのだ。
今回の現場で、ぼくは特段、出演者としてクローズアップされるわけではなかった。裏方として、音に集中する──それが使命だったはずなのだが、あるとき、ヘアメイク担当の方から声がかかった。
「どうしましょうか?」
「えっ? ぼくには必要ないでしょ〜誰も見てませんし」
「襟足にカラフルなエクステつけます?」
「それ、本人の意思とは関係なく後ろ髪伸ばした髪型にされてる子供みたいにみえませんか…。」
「じゃあ、アフロのウィッグあるんでどうです?」
「いやいや、ぼくは演者から離れた場所でひとりそっと音出ししているだけなんで、ハロウィンでイジられることを期待して仮装してきたのにスルーされちゃったおじさんみたいにみえそうで…。」
こんなやりとりを経て、すっかり相手のやる気をしぼませてしまったことに、少々心が痛んだ。
翌日、突然蘇ってきたのが、冒頭に書いた通りの「銀髪」に憧れたころの記憶だった。当時、美容室の椅子に座ってオーダーする際、こうリクエストした。
「藤本義一か司馬遼太郎のようにして下さい」
ぼくにとって、銀髪紳士は、語り口も立ち振る舞いも素敵で会話の話題も豊富な「こういう大人になりたい」と思わせる、いわば憧れの存在の象徴だった。
幸いにも、今も我が頭髪は健在である。実は、去年、自分でも調べてみたところ、手軽に銀髪が楽しめるジェルがあることを知っていた。きっとプロの方ならご存知なはず──そう思って提案してみると、やはり普段使われているという──これでキマリ!
メイクルームでは、朝から午後まで費やして、数十名の出演者に休みなくヘアメイクが施されていく。すべてが終わった時間、ひとやすみするつもりで銀髪作りを楽しんでもらえたら・・・そんな気持ちでメイクルームへ向かうと、若かりし頃、美容室でも同じようなことを語っていたことを思い出した。
「普段、お客さんからの無理なオーダーに応えている皆さんですから、せめてぼくの頭を触るときくらい、自由にやってください。失敗しても大丈夫です。まだ当分、髪の毛は生えてきそうなんで(笑)」
いつのころからこんな調子の気質が仕上がったのか? 小さい頃は無口で人見知りで、知らない人と出逢っても普通に会話ができる母を見上げながら、「うちの母親はいったいどうしたっていうんだ?」と、傍で慄いていたというのに…。
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