川瀬浩介|生きる。

或るロマンティストの営み

【願いが叶えられた日】

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2018年5月23日

今日は朝から緊張していた。


──母と《サーカス》を観に行く──


子供帰りが激しいこの頃、本番に支障を来すような迷惑を母が起こさないか? または、途中で予想もしていないような体調不良が起きないか?

あらゆるケースを想定しながら、母に着せる洋服を選び、万が一のときに備えて、着替えも準備して、開演2時間前に、特別養護老人ホームへ迎えに行った。

幸いにも、母は昨日と変わらず元気な様子だった。久しぶりにオシャレなシャツに着替えさせてみたけれど、やはりだいぶ痩せてしまったせいか、肩や首元のサイズ感が合わなくなっていた──スカーフを持ってくればよかった。

今日くらいは施設の方に頼らず着替えをさせたい、と、自ら実行するも、足腰の力がますます弱ってきている母を立たせるだけでも一苦労だった。大きく育ててもらったこの身体を小さく丸めて、母を背負うようにしながら対応した。


──身体が大きい息子よかった──


介護者として過ごした日々に感じたそのことを、久しぶりに思い出した瞬間だった。

車椅子への移乗も車に乗せるのも、ますます介助負担が増している。母と同じくらいの背丈だったら──筋肉量の少ない女性だったら──自分の身体が壊れてしまっていたかもしれない。

外は、雨模様だった。施設の方は入所以来初めての外出に雨だなんて、と残念がってくださったが、いつも屋内にいる母には、こうして雨に濡れるのも悪くないはずだ。

道中は、いつものように、バヴァロッティ歌唱によるプッチーニ作曲〈誰も寝てはならぬ〉を聴いていた。よくぞ飽きないものだなと感心するほど、繰り返し繰り返し聴いては、クライマックスの「勝つ」というイタリア語の歌詞「ヴィンチェロ」をパヴァロッティがローングトーンで歌い上げるのと合わせて大きな声で歌っていた。あのロングトーンを歌い切るには、相当息を吸い込んでおかないと合わせられないのだけれど、不思議と、またに同じ長さで歌えるときがある。今の母なりに意識して呼吸をコントロールしているのだろうか?

会場に着くと、かつて現場をご一緒した方に遭遇した。母を紹介していると、「写真を撮りましょう」と申し出ていただいて、場内に設けられている記念撮影ブースに2人で並んだ。


「アイドルスマイル」


そう声をかけると、母はこんな表情を返した。


──本当に子供に帰っているんだな──


3年前の初演のころと比べると、変わりようは顕著だった。劇場を愛した母が、上演中に手を叩いて喜ぶようなことなど決してなかった。特に大きな迷惑にもなっていない様子だったから静止はしなかったけれど、今の母の状態を改めて知る瞬間だった。それを、母の憧れの場であった劇場で見届けたのだから、余計に象徴的に映った。

今回用意いただいた車椅子席は、ステージ上手。もう何度も観ている演目だけれど、思えば上手から見届けるのは初めてだった。そのため、これまで見えなかった様々なことを知ることができて、とても新鮮な気持ちと同時に、新たな深い感動が呼び覚まされてきた。


「今日、母を連れて来なければ、ここからの画もこの気持ちも知ることはできなかった」


──出来事とは、説明のつかない巡り合わせである──


出演者の皆さんは、人知れず、今回も母に大サービスをして下さった。

関係者の方からの暖かい眼差しも数えきれない。

そして、母とぼくに、こんな差入れを下さったりもする。


──焼きそばパン──


こんなチームは、他にはない。


劇場の方からは、「記念に」とマグカップをプレゼントしていただいた。数に限りがあるものだから、ご来場のお客様に行き届かなくなることが心配だったけれど、ありがたく頂戴させてただいた。


──ご厚意には甘える──


介護者として過ごした時間に学んだことだった。


「ありがとうございます」


つい「すみません」とへり下る態度も改めた。


──どんなときもご厚意には、感謝の言葉を伝える──


苦しいことと同じくらいたくさんのことを学んだ日々だった。


──5年7ヶ月──


《サーカス》も今日で折り返し、残り4本となった。閉幕の扉が見え始めている。

そろそろぼくも、次のステージに向かうための扉に臨もう。そのための機会は、もう目の前にある。


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